ドラム教室に通うと個性がなくなる。
こんな意見を目にしたことがあります。 個性とは何か。 本来それを語らずしてこの議論を進めることはできませんが、それはひとまず置くとして。 そう言いたくなる気持ちはわからなくはありません。 例えばシステム化されたレッスンとか。 システム化というのはカリキュラムが決まっているということ。 学校での勉強に近いイメージですね。 効率がいい反面、画一的になります。 あとは教え手が幅を持たせずに教える時。 どんな音、どんなリズムを出すかによって演奏の方法は変わるのですがひとつの方法または限られた方法でやるのです。 この場合もみんな同じ感じになります。 このような学び方をした人の演奏を目にして個性がないと言われるんだと思います。 ただこれもひとつのアプローチなので無個性だと言いきっていいものかどうか。 そもそも個性とはなんなのでしょうか? その人らしさというところでしょうか。 それなら誰もが持っているはずです。 取り上げられたり無くなったりはしない。 テクニックは過去から積み上げられた知恵の集大成ですから演奏のやり方を学ぶ時、個性とか無個性とかの要素が入り込む余地は基本的にはありません。 やりようの違い、また何を学ぶかの違いはあっても。 つまりまっとうな教室が扱うレッスン内容は個性とか独自性をなくすようなものではないのです。 まっとうであればの話ですが。 思えばオリジナリティを発揮しにくいわたしたちの国の文化的背景。 横並びの社会の中での自分らしさ。 しかもドラムはもともとわたしたちの文化ではなかったもの。 こうした意見がたびたび出て来るのは無理のないことなのでしょう。 上達すれば自然と個性を発揮できるようになります。 表現の仕方を学ぶのです。 スキルを身につければ自分らしさをいい形で表現できる様になるはずです。 そうなるべくレッスンは行なわれるべきですね。 上達しましょう。
1 コメント
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