あまり外出しない自分のことを「ひきこもり」と言って驚かれたことがあります。
考えてみると言葉の意味が変わって来ているんですね。 現代では元々と違った使われ方で浸透していますし、気軽に使っていい表現ではなくなっています。 言葉の難しさを感じました。 あまり出かけないということはほとんど旅行にも行きません。 近畿圏で1泊。 きまぐれに行ってもその程度です。 もう数年前になりますが、その自分が30代になっていきなりヨーロッパ旅行をしました。 たくさんの荷物を抱えて。 結構疲れました。 旅の後半は、だしの味が恋しかったです。 帰ってから食べた普通のうどんがものすごく美味しかったりして。 でも旅行っていいものですね。 やはりその土地に行ってしか感じられないことをたくさん感じました。 例えば、言葉とは”意味”なのだと言うこと。 言語の背景には民族文化がありますからそもそも表面だけでは理解できない訳ではありますが。 どんな意味なのか。 母語以外満足に操れない状態でその土地の空気を吸いながらコミュニケーションを試みた結果 「意味が伝わる」 という当たり前の重要さを改めて感じたわけです。 しかしきれいに話せたほうがいいのは言うまでもありません。 カタコトは受け取られる方が大変です。 同じ言語で話していれば必ずしも意味が伝わるというものでもありません。 解剖学者の養老孟司さんはこの伝わらない状態を「バカの壁」と表現され、本はベストセラーになりました。 どんなに丁寧でも相手を敬わない言葉があります。 ぶっきらぼうでも優しい言葉もあります。 優しそうに見えても冷たい言葉というのもあります。 レッスンにおいて伝えるということは演奏して見せるか言葉で説明するかですが、いかに伝えるかをいつも考えています。 受け取る側の立場になって伝える。 これは5歳の子供さんのレッスンでもかわりません。 これをものにしたい。 いい状態で取り組んでいて、あともう少しのところまで来ると誰しもそんな気持ちになるものです。 でもそこからのあと一歩が遠い時もあります。 アドバイスが必要か時間を渡したほうがいいのか。 一瞬一瞬に見極めが必要になります。 押しつけられるのは誰でも嫌です。 なのでさりげなくアシストする。 こうして良い結果を導けた時の喜びは講師冥利に尽きます。
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