「もう少し早く始めてたらなぁ」
というような声をしばしば耳にしました。 物事はどんなことでも出会いですもんね。 出会いのタイミングはコントロール出来ないものです。 状況を活かすことは出来ても。 時間を戻せればいいのでしょうがそうは行きません。 でもこれは裏を返せば、その方にとってドラムがそう思うだけのものになったと言うことです。 そう考えると嬉しいです。 「プロになるわけじゃないから」 というような声を耳にしたことがあります。 少しひっかかりました。 それはそうなんでしょうが。 しばらくしてから思いました。 おそらくこれはひとつの”壁”なんだろうと。 無意識につくられる精神的な壁。 根本的な解決策でなく、もう少し楽な方法論がいいというような。 本質を突くものにはしんどさが付きまといますからね。 でも上達を望むなら避けては通れません。 根本的な課題は基本的に”うすく”課すことを心がけて、いつも気長に構えています。 少しずつ浸透していっていればいいなあ。 「楽器がうまいやつが音楽家とはかぎらへん」 亡き師、河瀬勝彦が言っておりました。 ジャズドラミングを元にしたフリードラミングを自らのスタイルにしていた師。 20歳当時の私には師の言っている意味がよくわかりませんでした。 言うまでもなく職業音楽家は楽器がうまくなければつとまりません。 言葉の使い方による部分があるんですが、師は『音楽家』という言葉を岡本太郎が言う『芸術家』と同じような使い方で使っていたのだと思います。 自由な自己表現による自己実現。 軽く言うとそんな意味になるかと思います。 思えば岡本太郎が芸術への道に人々をいざない始めた1950年代と比べるとこうしたことはかなり世の中に受け入れられるようになっていると思います。 ドラミングにおける芸術性。 ドラムが用いられるのは多くがポップ・カルチャーな音楽の世界です。 楽器の演奏には芸術的な側面と、芸能的な側面があります。 ドラムは中でも芸能的な側面が強い楽器です。 ドラムにおける芸能的な側面を満たすのは容易ではありません。 ここで言う『芸能的側面』とはかんたんにいうとテクニックのことです。 テクニックが芸術性を発揮する条件になる。 例えばリズムが安定するとか。 絵などとは違う難しさがここにはあります。 楽器の演奏は熟練され続けなければならないのです。 「普通のやつが普通にできることはすべて出来なあかん」 師の言葉が蘇ります。 ポップ・カルチャーと芸術が簡単に相容れるとは思っていません。 ですが、テクニックと当時に芸術的側面を学べればやりがいが上がりますから結果として充実して楽しいと思います。 ポップなドラミングを突き抜けた先に芸術的なドラミングが開けないか。 果てしない時間はかかると思いますが、その可能性を追うことにドラムを指導する意味を感じています。 単なる趣味ではおさまらず大きな喜びと苦悩をもたらす。 そうなった時、その人の人生の中でドラムの位置づけは計り知れない大きさになっているはずです。 生きる意味も違ってくるでしょう。 私がそうですから。
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