つい先日ある仕事から用事への移動に久しぶりにJR奈良駅から電車に乗りました。 綺麗な駅舎。
観光都市らしく整備されています。 2010年に乗り入れ全ての路線が高架化され周辺の交通環境はかなり良くなりましたね。 車では良く近くまで来るのですが電車で乗り降りする機会がなかなかありません。 今日は"万葉まほろば線"に乗りました。 桜井線から改称したのだと思っていたのですが、調べるとこれは愛称なんですね。 奈良らしい、また奈良ならではの愛称だと思いますが愛称の方が長い名前なのは利便性を考えるとどうかな…と言う気もいたします。 全線単線のわりにかなりのスピード。 二両編成の電車は古めかしさ相応の揺れを伴いながら駆けていきます。 嘘か本当かレールの鋼材が薄いとか。 懐かしさを感じるのは以前この沿線に住んでいたせいでしょうか。 いや、その当時でもこの電車には数えるほどしか乗っていません。 … きっとこの景色のせいなんですね どこか懐かしい。 変わり続ける世の中の変わらない景色。 地元福岡でJRに乗ってよく目にした景色の記憶とも重なります。 近年"新しいもの"というのが急速に難しくなりつつあるように感じます。 リバイバルが多いですしね。 時代を現したり、人の精神を変えるような新しいものが生まれにくい。 芸術も。 成熟した社会の難しさだと言えるでしょう。 綺麗で。 速くて。 便利で。 そう言った類のものは素晴らしく、これからも進歩し続けると思います。 でも、そうしたものが進歩すればするほど停滞感も増す。 "新しいもの"はないのですから。 芸術は本質的には綺麗でも、速くも、便利でもありません。 さらに芸ごとは熟成に時間を必要とします。 現代の時間の速度には合いません。 でも、だからこそ却っていいのかもしれないとも思います。 失われつつあるとしたら逆に求められるのかもしれないですし。 表現への欲求をかたちにしたものが芸術。 表現は人が人たるあかし。 そして成熟した社会は本来芸術を現実的に支えるもの。 つまり過去これ以上なく芸術の環境が整えられた時代が今とも言えるのです。 その人を現すもの。 それが芸術。 ドラムは基本的には伴奏の楽器ですが、それに留まらない表現の可能性を秘めています。 ドラミングは芸術であれ。 今日は書き出しからは思いもかけない結論に辿りつきました。
0 コメント
返信を残す |
『<<前へ』でひとつ前、
|